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よく考えたら俺いらないな


明日は休みだったので、酒を飲みつつボッーと深夜アニメを見ていた。その最後に放送された「えむえむ」という作品を見て思った。

これも男性キャラ不要説の一つの到達点だと。

この「えむえむ」という作品、見た限りはドSのメインヒロインにドMだと自覚がある主人公が何だかんだでボッコボッコにされる作品みたいである。

ここで男性主人公に求められている役割は話を引っ張ることでも話の中心にいることでもない。

サンドバックというシンボルである。

ただ殴られるだけの主人公。重要なのはそれよりも殴る側の女の子の描写である。主人公はただ殴られてアヘ顔をさらしていればいいのである。

ヤンデレのブームに見られるような、男性側の位置の低下の一つの到達点がここにあるのだ。ヤンデレは女性側の持ち上げて(狂気という免罪符を使って)男性側を相対的に低下させるカタルシスみたいものが大きな魅力であったが、この「えむえむ」という場合、女性側を持ち上げた上に男性側を地べたを這う勢いで低下させている。ドMであるという理由までつけて。

ただハーレム願望という大きな願望が残されているのは、それが様式美になっているのか、男性側の最後の意地みたいなものだろうか。

じゃあ男性ではなくその辺のボールを殴ればいいじゃないか、という結論に達したのがけいおん!のような”日常系”と呼ばれる作品である。故にこの系統の場合は、男性という存在そのものを徹底的に廃した。その代わりに女性側の描写を極限まで高めたのである。なので、日常系においてシナリオが二の次でキャラクターが第一に来るのは当然のことなのである。我々が欲しているのは、「楽器を演奏するシーン」ではなく「楽器を演奏する女の子を描写したシーン」なのだから。

ラブプラスのヒットに見られるように、女性キャラクターは攻略するものから鑑賞するものに変化してきているのかもしれない。そこに男性は必要ないのである。

「えむえむ」の前に「薄桜鬼」という乙女ゲーのアニメが放送していたが、普通に見れた。というか、最終回だったらしく、面白かった。ただその時あった視点は「日常系」を見る視点だったかもしれない。少なくとも、主人公(女性)=視聴者(男性である私)を自己投影は不可能に近いのだ。

そんなことを考えた、午前三時半。
日記 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/12/15 03:35
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